2009年02月04日

誰かではなく自分がことにあたるということ。

「何か大事なことが起きたとき、人は自問自答して、多くの人は『誰かがことにあたるだろう』と考えるが、稀には『なぜ私がことにあたらないでいられよう』と考える人がいる。この両者の間に、人類の道徳的進化の全過程がある。」

ウィリアム・ジェームズという19世紀の哲学者・心理学者の言葉だそうです。

この言葉は最近読んだ小説に引用されていて知ったのですが、元は「宗教経験の諸相」という彼の著作の中の一節だそうです。

実に、威力のある言葉。

全ての「違い」はこの言葉の後者のように考える人によってもたらされるのだと思います。


私は自社のメンバーには、面倒なこと、困難なこともでも、「俺が!」「私が!」と手を挙げて担って行って欲しいと常々話しています。そういう人だけが何かを変えることができて、そしてそういう人にこそついていきたい思えるものだと、思うからです。

問題の存在に気づいたり、その状態を批判したりすることはとても簡単なのですが、では誰がその問題を解決するのか。

上の者が気づいてくれて、解決してくれるのを待っている、という態度を取る人がいますが、これはまだマシなほうかもしれません。

そういう状態が解決されないでいることをよく認識しながら、それを自分の影響の範囲外と決めつけることで、その問題を解決しない上層部や責任者を批判する材料とし続ける。

こういう態度がもっとも組織にとって利益にならない。

問題の存在に気づいたら、自分こそがその問題にあたるんだ。

そう思ってくれるスタッフをどれだけ育てられるかが、社内の進化を強く速く進めて行くための鍵になると思っています。
posted by miyohiro at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 賢者の至言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
フオジンオフィシャルウェブ:http://www.huojin.com
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。